2006年07月02日
●適材適所と成果主義。
この頃考えることがあった。
成果主義が導入されてしばらくしてから、「成果で評価されてこなかった人が他人を成果で評価できるのか」なんて話があったけど、納期、品質、コスト、その他のアウトプットを見ればある程度定量的な判断はできるので、そこらへんの問題はむしろ、その「判断」にどれだけの「人情」が混ざるのかというさじ加減の部分なのかな、と思う。成果主義に人情がいるのか、なんていう話もあるだろうけど、なんでもかんでも欧米に倣う必要はないし、人が成すものに人情は少なからず必要だ。
ちょっと視点を変えてみる。そもそも成果主義とはなにか。
会社ってのは、個人の成果の積み重ねとして業績が出来上がるのであって、成果が大きければ大きいほど会社への貢献も大きい。そういう観点からして、年功序列の賃金体制は間違っているし、より成果を出した人間により多くの報酬を与えるというのは正しい。
さらにもうちょっと視点を変えてみる。より多くの成果を成すにはどうすればよいか。
それは簡単なことで要員を適材適所に置けばいい、となる。例えば、俺に金の勘定をさせてはいけないし、単純作業をさせてもいけないし、ソフトウェア開発が得意な人間がその場を離れて管理に回るというのも本来ならば避けなければならないことだと思う。優秀な開発者が一人消え、汎用な管理者が一人出来上がることが会社にとって良いことかと言われればそんなことはないわけだから。
適材適所に人を置く。この取り組みが正常に動き出して初めて、成果主義による評価が行われるべきなのだ。では、適材適所を正しくまわすにはどうすればよいか。
ひとつには、社員ひとりひとりが自分の進むべき道、何をしたいのかを明確に持つこと。それとは別に、会社として何処に向かうのか、そのために必要なことは何か、そこに誰を当てはめるかをキチンと整理すること。やりたいこととやらせたいことの間には少なからずのギャップがあるだろうけど、成果創出のための戦略がハッキリしてないと、どこかの会社みたく「空いた人間をとりあえずつっこむ」な場当たり的な対処が繰り返され、上手く行かないと、適正も状況分析もへったくれも無くつっこんだ側から「やれなかったお前が悪い」と叱責されたりする。成果はもちろん上がらないので「成果主義」により給料が上がらない。
あれ、俺だけが悪いんだろうか、とふと思う。
会社が適材を適所に置くそぶりを見せないのなら、自分が適所と思うところに自分で向かわないと駄目なんだろうな、と思うこの頃。そう考えてから会社の制度を見ると、「ああ、なるほど」と思う。適所を見極めるためのロードマップやら適材を求める制度なんかもある。(情報が分散してて、物凄くわかりづらいけど!)どうやら会社も「俺にはどうにもできん。テメーでなんとかしろ」と言っている模様。
はい。もとから信用してませんし自分でなんとかします。
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